「雨のコラム」

    吾 輩 は 雨 で あ る

 

 吾輩は雨である。吾輩には色々な名前がある。豪雨、驟雨、五月雨、小糠雨、甘雨、時雨、春雨、梅雨、鬼雨、狐雨、猫毛雨・・・数えだすと限りがない。でも吾輩は雨である。

 太陽が吾輩を海や湖、山などから蒸発させて生んだようだ。吾輩は高い空中に漂い、次第に仲間と合体して重くなり徐々に落ちて行く。そんな時は風も引きずり落としているのである。大地では川になり湖に流れ込んだりするが、土の中に浸み込んで地下水や、さらに深いところでは熱湯となり温泉の元にもなったりしている。そして、地上では森や林、草や野菜などを育てている。この様なことを、数十億万年前から繰り返していることは記憶している。

 ここ数百万年前から人間と言う動物が地上に現れた。吾輩は彼らを観察すればする程、わがままなものだと断言せざるを得ないようになった。千年程前は天皇や高僧などが重要な仕事として吾輩の降るのを祈ったものだ。しかし最近は違う。人の住むところでは吾輩を邪魔な物として、幼稚ないろいろな「技術」を使って排除しようとしている。

 わがままで思い出したからちょっと人間がこのわがままで失敗した話をしよう。都市が人間のわがままや便利のために暑くなってきて、ヒートアイランドと呼んでいる。暑くなると多くの我輩の仲間たちが蒸発する。空は吾輩たちがいっぱいで一気にもと来た都市に落ちて行く。人間は右往左往してゲリラ雨と呼んでいるが吾輩たちはゲリラではない。雨である。なぜこのような失敗をするのか、古くから「天につばする」などと言う意味深長な言葉を知っているにもかかわらずだ。

 それでも人間は吾輩のことを歌や詩にするのが好きである。特に愛とか恋とかというものにつきもののようだ。この中で吾輩をうらむ時も、感謝する時も、悲しく思う時も、いとおしく思う時も人間らしい優しい感情のようだ。

 それなら、これからはそのように自然に共につきあって行こうではないか。                         上田正幸 記


NPO法人 京都・雨水の会
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